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わたしの身体を決めるのはだれか。ICC企画展「わたしの身体はだれのもの?」が12月5日開幕

わたしの身体を決めるのはだれか。ICC企画展「わたしの身体はだれのもの?」が12月5日開幕

NTT東日本が運営する文化施設、NTTインターコミュニケーション・センター [ICC]は、2026年12月5日(土)から企画展「わたしの身体はだれのもの?」(英題:Who Decides What This Body Is?)を開催します。ICCは、日本の電話事業100周年記念事業として1991年からプレ活動を行い、1997年にNTTが設立した施設です。科学技術と芸術文化の融合をテーマとしています。今回の展覧会では、5人のアーティストの作品を通して、私たちの身体をめぐる制度や価値観を問い直します。

花形槙《エルゴノミクス胚・プロトセル》2025年、撮影:上野貴弘 参考図版
花形槙《エルゴノミクス胚・プロトセル》2025年、撮影:上野貴弘 参考図版

身体に引かれる「正常/逸脱」の境界線

私たちはふだん、自分の身体は自分自身のものだとごく自然にとらえ、身体に関することは自分で決められると考えているのではないでしょうか。しかし時には、医療や法などによる分類や、より表に出にくい社会規範などの外からの要因によって、自分自身の身体を規定する基準が他者や社会の仕組みに委ねられてしまうこともあるでしょう。たとえば病気にかかると、本人の意思とは関係なく「健康ではない」と見られることがあります。それはときに、医学的な診断の範囲を超え、「健康=正常」「病気=逸脱」という評価にまでつながりかねません。こうした判断がはっきりと表れたのがパンデミックの時期でした。検温や検疫に代表されるように、身体や行動は管理され、記録され、「正常/逸脱」の判断を受ける対象になりました。このような経験を通じて、私たちの身体を「逸脱」の側に位置づける境界線が日常の中にもあることに、気付かされたのではないでしょうか。

一方で、今日のテクノロジーは身体にこれまでになかった可能性を開いています。iPS細胞研究に代表される再生医療は飛躍的に発展し、ウェアラブル・デバイスをはじめとする身体機能を拡張する技術も盛んに研究され、私たちにとってより身近なものになっています。ただしこうした技術の発展は、身体をテクノロジーの言語で記述・分類し、さらには資本主義における資源とみなすことも可能にします。身体を、社会システムの中で管理や利用ができるユニットとしてとらえる視点については、さまざまな議論が起きています。

わたしの身体を決めるのはだれか。ICC企画展「わたしの身体はだれのもの?」が12月5日開幕

5人のアーティストが揺さぶる身体の輪郭

生物学的なカテゴリーや制度的な境界など、身体はいくつものレイヤーを引き受けています。そして私たち自身は、その身体から逃れることができません。本展に参加する5人のアーティストは、細胞培養と生殖、生の気配、精神のゆらぎとそのケア、身体とテクノロジーの関係、近代医療と在来の知といった、それぞれ異なる視点から身体をめぐる境界や価値観をとらえ直します。作品は創造性と、ときにユーモアを交えながら、私たちが当たり前のものとして受け入れてきた身体のあり方やその境界を揺さぶります。以下、作家を五十音順に紹介します。

池添俊は、社会や歴史の中で見過ごされがちな人々の語りや記憶に目を向け、それらを物語として組み立て直す映画やインスタレーションを発表してきました。近年は精神のゆらぎとそのケアをテーマにしています。本展では、精神的な困難や課題を抱えて生きる人々を地域の家庭が受け入れ、共に暮らす制度が13世紀から続くベルギーのヘールで取材して制作した《わたしたちは同じ見えない部屋に暮らしている》(2026)を再構成し、《わたしたちは同じ見えない部屋に暮らしている[再構成版]》(仮題)として新たな映像インスタレーションを発表します。現実と想像、記録とフィクション、自己と他者、正常と逸脱といった揺れ動く境界を見つめ直し、他者と共に生きる可能性を探る作品です。

小宮りさ麻吏奈は、クィアという視点に立ち、従来の家族観や性別にとらわれない「新しい生殖・繁殖の方法」を模索しています。出品作《CLEAN LIFE》(2025年)は、生体の一部を人工的に増やす技術のひとつである細胞培養を用い、培養肉をテーマに制作された作品群です。顕微鏡で見た培養肉の組織を映す映像には、この技術にまつわる政治や倫理の問題が重ねて語られます。展示室には、細胞を培養して制作した平面作品も並びます。映像で語られたトピックが平面作品のモチーフとなる一方、平面作品自体も細胞と培養に使われた培地を素材とすることで、その倫理的な問いを自ら引き受けています。私たちがどのような絡まり合いの中にいるのか、倫理的な線引きがどのように行われているのかを問いかける作品です。

花形槙は、テクノロジーや社会によって規格化される人間に対し、自らの身体構造や感覚を組み換えることで世界との関係を結び直す「捻転(ねんてん)」を実践する作品を制作しています。2025年からは、人間が技術を使うのではなく、技術に〈なる〉ことを試みる《エルゴノミクス胚》に取り組んでいます。この作品は舞台芸術祭「秋の隕石2026東京」の委嘱によるライブ・パフォーマンスで、2026年10月29日〜11月1日に東京芸術劇場で上演予定です。本展では、その連作となる新作の映像インスタレーション《エルゴノミクス胚・ホロタイプ》を発表します。ウェアラブル・デバイスとAIを転用した身体表現によって、人間と技術の境界が揺らぐ瞬間を映像でとらえようとする試みです。

イラク・クルディスタン出身のヒワ・Kは、家族や友人から聞いた逸話や自身の経験をもとに、地域に根ざした知や表現、他者との協働を取り入れながら、既存の歴史や支配的な物語を問い直す作品を手がけています。出品作《なにも感じないでしょう》(2025年)は、自身の腎結石の治療経験をもとにした映像作品で、第13回ソウル・メディアシティ・ビエンナーレの委嘱作品です。病院での診断と、地域の伝統的な治療師との出会いを通して、西洋近代の知の体系とは異なる在来の知に目を向けます。同時に、医療や軍事技術といったテクノロジーが身体をどうとらえ、どう扱うのかを浮かび上がらせます。身体の痛みや感覚の麻痺を描きながら、私たちが自分の身体や世界との関係をどう結び直せるのかを考える作品です。

福原志保は、これまでさまざまな方法で「生命とは?」という問いを探求してきました。生を本来は不可逆な過程ととらえ、近年は自身の家族を看取った経験から、医療的な管理と、その人の気配を感じとりながら行うケアとの違いについて考察を重ねてきました。そうしたきわめて個人的な経験からたどり着いたのが、液体、医療用チューブ、歯や骨といった要素から着想した新作のインスタレーションです。管理・制御されながらも漏れ出していく液体の振る舞いと、その液体を受けて表面が変化する素材を組み合わせた装置で、物質が引き起こす静かな現象を通して、生と死の境界や目に見えない気配を立ち上がらせます。

《わたしたちは同じ見えない部屋に暮らしている》2026年 参考図版
《わたしたちは同じ見えない部屋に暮らしている》2026年 参考図版

開催概要

  • 展覧会名:わたしの身体はだれのもの?(Who Decides What This Body Is?)
  • 会期:2026年12月5日(土)~2027年3月7日(日)
  • 会場:NTTインターコミュニケーション・センター [ICC] ギャラリーA(東京都新宿区西新宿3-20-2 東京オペラシティタワー4階/京王新線 初台駅東口から徒歩2分)
  • 開館時間:午前11時~午後6時(入館は閉館の30分前まで)
  • 入場料:一般800円(700円)、大学生600円(500円)、年間パスポート2,000円。( )内は15名様以上の団体料金。障害者手帳をお持ちの方と付添1名、65歳以上の方、高校生以下の方、ぐるっとパスをお持ちの方は無料
  • 休館日:毎週月曜日(月曜日が祝休日の場合は翌日)、年末年始(12/28[月]-1/4[月])、ビル保守点検日(2/14[日])。休館日以外にも開館時間の変更や臨時休館の可能性があります
  • 主催:NTTインターコミュニケーション・センター [ICC](NTT東日本株式会社)

会期中には、出品作家やゲストによるアーティスト・トーク、ギャラリーツアーなどが開催予定です。同時期には、リサーチ・コンプレックス NTT R&D@ICC「身体性BEYOND」、岩井俊雄《マシュマロモニター》、映像アーカイヴHIVE(ハイヴ)の展示も予定されています。展覧会名や会期などは2026年10月28日現在の情報で、最新情報はICCウェブサイトなどで告知されます。

出典:NTT東日本株式会社

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